CEEPO(シーポ)トライアスロンバイク/現役トライアスリートによって開発されたトライスロン専用バイク

トライアスロンのお話し 第13話【広がり続けるトライアスロン仲間】

トライアスロンのお話し 第13話【広がり続けるトライアスロン仲間】

しばらくレースがありませんのでトライアスロンのお話し

第13話【広がり続けるトライアスロン仲間】

私の高校入学時の話しですが、中学まで愛知県で過ごし、高校から京都の学校に行くことになりました。
知り合いが全くいない初登校の日に、持っていたノートに大きな丸をクラスとして描き、その輪の中に自分を点として書き、日々知り合いが広がって行く具合を点が徐々に大きな輪になって行くということで表現をしたことがありました。
※当時の私は、今と全く違って自分から話しかけることができない内気少年でした。

私がトライアスロンを始めた頃、今は多くなったスクールやチームはあまりなく、トレーニングもレースも個人でしていました。

初めて宮古島に参加した時の知り合いは、私に宮古島を紹介してくれた上田学さん、私がトライアスロンを始めるきっかけとなった古代真琴さん、バイクを買ったお店で紹介されて鈴木雄久さんの3人だけでした。

宿泊した東急リゾートホテルの芝生の上でバイクの組立が良く分からず困っていた時、すぐ近くに何台かのバイクを組み立ていた人がいて声をかけたところ、無愛想ながら親切に教えてくれたのがトライアスロンショップオミノの代表小美野さんでした。

それからプールで黙々と泳いでいた白戸太郎さん(雑誌トライアスロンジャパンで見たことがある)に挨拶をして、朝食の時に大声で喋っているシロモトウェットスーツの城本徳満さんに挨拶をすると言った具合で、トライアスロン界の点が輪となって広がる始まりでした。

当時の宮古島大会は、常連アスリートの参加資格が優遇されていたようで、次の参加の時にも同じ顔ぶれが多くいて、前年できたネットワークをベースに知り合いの輪が二次関数のペースで広がりました。

高校入学時の内気性格から積極性格になっていたので知り合いネットワークの広がるスピードは早かったです。

前置きが長くなりましたが、
「トライアスロンのレース会場での出会いは社会的背景は関係なく、トライアスリートとしての出会いがあります」

2回目の宮古島に行った時、当時の宮古島大会の協賛会社の一つであった人気アパレルブランド「パパス」の荒牧太郎さんに会うことがありました。
荒牧さんといえば、当時の私が担当してたラコステのアパレル業界での重鎮で、神的存在です。
同じ東急リゾートホテルに宿泊されていたので朝食の時に挨拶をさせて頂いた時、業界で見せるのとは全く違う表情でお話しをさせて頂き、それからは太郎さんと呼ばせていただくことになりました。
おそらく荒牧太郎さんを太郎さんと呼べるのはトライスリートしかいないと思います。

トライアスロンはいろいろな場所に行くことができ、会場での滞在時間も長く、レースの前後、レース中も含めてコミュニケーションチャンスが多くあります。

そしてこのコミュニケーションの広がりは国内の留まらず海外にも広げる事ができます。

トライアスロンを始めた時の点は今世界の輪に広がっています。

競技だけではなく、コミュニケーションネットワークの広がりも楽しめるトライアスロン、最高のスポーツです。

Expanding Communication Network with Triathlon❗️

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