CEEPO(シーポ)トライアスロンバイク/現役トライアスリートによって開発されたトライスロン専用バイク

トライアスロン(CEEPO)のお話しシリーズ 第180話【人生積み上げ】

トライアスロン(CEEPO)のお話しシリーズ 第180話【人生積み上げ】

トライアスロン(CEEPO)のお話しシリーズ
第180話【人生積み上げ】
最近歳のせいかやたらと昔を思い出すことが多くなりました。
今ある自分がなぜこうなったかを考えて見ると、現在は過去からの積み上げの上にあり、どれか一つが無くても現在はありません。
そしてそこにあるのは
「偶然と人との出会い」です。
ここには書ききれない多くの方との出会いがありほとんどが偶然の出会いです。
偶然の出会いで繋がった関係が立場が変わっても継続することでネットワークが広がり続けます。
これからも新しい出会いを楽しみに、出会いへの感謝と、そこから始まる新たな可能性に向けて頑張ります❗️
Endless Triathlon Life❗️
【私の大まかヒストリー】
●2021年(直近)
・CEEPOバイクの開発、販売とトライアスロンレース運営。
・守山市を起点として他市にも広がる団体、企業、グループとのネットワーク拡大中。
●2020年
・2021宮古島レースの開催中止を聞いて自分でレースを開催しようと決断。
・滋賀県守山市役所地域振興課との出会い。
●2019年
・宮古島ストロングマンでバイクシェアーのトップ獲得。
●2018年
・皆生トライアスロンでバイクシェアーのトップ獲得。
・友人の紹介でMercedes-Benz Japanとの出会い、V-Classサポート決定
●2016年
・国内唯一の完成車組立工場株式会社ワコーとの出会いで国内新流通体制のスタート。
・株式会社ワコーから自転車業界の基本を習得
・1+1=3のパートナー関係を実感。
・CEEPO国内シェアーの拡大。
●2013年
・アイアンマンオフィシャルバイク契約の終了。
・CEEPO運営体制を一新して新マネージメント流通体制のスタート。
●2012年
・世界初のヘッドチューブカバー付きシマノDi2バッテリー内蔵専用モデルCLIMAX誕生。
●2010年
・アイアンマンオフィシャルバイク契約。
・CEEPO世界進出スタート。
・世界のトライアスロン市場とのネットワーク拡大。
・本社を台湾(台中)へ移転。
●2009年
・アイアンマンオフィシャルバイク契約の提案メールをWTC(World Triathlon Corporation)から受信。
・メール受け取った後、速攻で初のUSAフロリダアイアンマンオフィースへの単身出張。
・世界初尻尾付きフレーム形状の初代VIPERと日章旗デザインの初代KATANAの誕生。
●2007年
・ドイツのESPOショー(ヨーロッパ最大のスポーツショー)に CEEPO出店した時、カーボンフレーム工場の台湾人女性との出会い。
・CEEPO生産工場を現工場に変更。
・新工場の生産で初代VENOMの誕生。
●2006年
・CEEPOのハワイデビュー。
・ハワイでの第一回CEEPOライド&CEEPOパーティー開催。
●2005年
・CEEPOに専念するためメガネ事業から撤退。
●2004年
・CEEPOが宮古島ストロングマンでデビュー。
・女子総合優勝、男子日本人トップ、エイジ優勝2名でデビュー。
●2003年
・CEEPO初代モデル完成。
・自転車業界知識ゼロの状態で青森から鹿児島まで全国営業で40店のディーラーと取引開始。
(100店リストアップ、80店と商談、40店と取引開始)
●2002年
・「宮古島でベストのトライアスロンバイク」と言うコンセプトでトライアスロン専用バイクの開発を決定。
・ブランド名をCEEPOに決定。
●2001年
・Reebok Japan退社。
・台湾カーボン工場社長との出会いでトライアスロン専用バイクの製造販売を決定。
・銀座プランタンにブランドメガネの4プライスショップをオープン(小売ビジネスの奥深さを学ぶ)。
・メガネ業界のネットワーク拡大。
●1999年
・3回目の宮古島参加でフィニッシュタイムを1時間40分短縮。
・トライアスロンにはトライアスロンバイクが必要ということを実感。
・宮古島の記録改善からアイアンマン挑戦を促されアイアンマンフロリダに参戦しアイアンマンハワイの出場権獲得。
・アイアンマン初参加でアイアンマンの素晴らしさを初体験。
●1998年
・トライアスロンショップオミノでトライアスロン専用バイクを作る。
●1997年
・Reebok Japanが宮古島ストロングマンのオフィシャルスポンサーとなり宮古島がReebok一色。
・1997年〜2001年までの5年間オフィシャルスポンサー。
・トライアスロン業界とのネットワーク拡大。
●1996年
・英語の必要を感じ英会話勉強開始(未だ不完全)。
●1994年
・転職 大沢商会→Reebok Japan
・国内企業と外資系企業の企業文化違いにカルチャーショック。
・パソコンと使い方習得。
・スポーツ&アパレル業界のネットワーク拡大。
●1992年
・バイクルクラブから頂いたロードバイクで初トライアスロン参加。(愛媛県中島トライアスロン)
●1991年
・小学4年生の息子とママチャリ&子供用変速無しバイクで多摩川河口から奥多摩までの往復200kmライドを敢行。
・そのニュースがバイシクルクラブに伝わり「父と子の触れ合いライド」として取材を受けることになり、ロードバイク1台をゲット。
●1985か1986年
・NHKで実況中継されたアイアンマンジャパン琵琶湖で初めてトライアスロンを観て自分もやろうと思う。
●1985年
・会社更生のため導入されたビッグプロジェクトLacosteに一員として参加。
・アパレル業界でのネットワーク拡大。
●1984年
・大沢商会の倒産と会社更生法適応。
・妻から、98kgになった身体と早くも後退した髪の毛に対する「詐欺」との一声と今後の健康を考えマスターズで競泳復帰。
●1983年
・東京転勤。
・大阪勤務時代(無理矢理営業)の反省から営業スタイルを変更。
●1980年
・結婚
●1979年
・大阪転勤で東京と関西のスポーツスタイルの違いを実感。
・関西スポーツ業界でのネットワーク拡大。
●1978年
・東京就職後2年間続いた六本木通いの夜の街生活をやめるようにと後輩から女性を紹介される(現妻)。
●1976年
・オイルショックで就職難の中、水泳部大先輩の紹介で大沢商会入社。
・スポーツ用品部配属となりスポーツ業界でのネットワーク拡大。
●1975年
・部員まとめに苦戦しながら引退前の全日本学生選手権で水泳部始まって以来の団体3位入賞を果たし終わりよければ全て良しで4年間の水泳部活を引退。
●1974年
・大学3回生の時、水泳部50周年で全日本学生選手権制覇プロジェクトがスタート。
・第51第目水泳部主将に就任。
●1972年
・大学水泳部に入部。
・監督、先輩からの厳しい指導と合宿所生活でマッサージテクニックと体育会精神を習得。
●1971年
・京都府大会入賞と近畿大会出場での自信で前向き性格へ変身。
●1970年
・高校2年の秋、内向的性格で数少ない友人の一人から誘われて水泳部への入部。
●1969年
・高校一年生から京都での下宿生活で箱入り息子から変身。
・スポーツ部に入ろうとしたが成長が遅く体力がついて行けず生物部に入部。
●1967年
・一宮市立中部中学校入学。
・親から身長が伸びるからとバスケットボール部所属(補欠選手)。
・目立たない中学校時代。
●1962年
・一宮市立神山小学校入学。
・目立たない小学校時代。
●1954年
・愛知県一宮市で誕生。

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